コタの成長記録②〈低酸素性虚血性脳症と診断〉

2020-06-19

出産の翌日から、私は赤ちゃんに母乳をあげに小児病院へ通った。

以前、何回か車でその病院の前を通ったことがあり、そこに小児病院があることは知っていた。

まさか自分がここに通うようになるなんて思ってもいなかった。

その小児病院は日本でもトップクラスらしく、出産した病院の助産師さんが「とってもいい病院よ」と言っていた。

 

 

 

 

はじめて入る小児病院のロビーの壁には動物やアンパンマンの絵が貼られており、吹き抜けの窓のステンドグラスから色とりどりの陽が差し込んでいた。

 

 

赤ちゃんはNICUの奥の部屋にいた。

ピンクのタオルの上で、白いお布団にくるまれてすやすやと眠っていた。

かわいいお鼻に管が入っている。

ちいさなお手々に包帯が巻かれている。

 

 

 

 

先生の話では、

 

 

・経過は順調

 

・点滴は水分補給のみ

 

・ミルクを10cc飲んだ

 

・筋肉の数値が高い(産まれる時のストレスか何かで)

 

・新生児仮死のはっきりとした原因は分からない

 

・【重症新生児仮死】である(1分で3点)

 

・肺やMRIの検査はこれから

 

・一年間、痙攣などの症状が無かったら大丈夫

 

・神経の部分が心配

 

・泣き声は力強くなっている

 

 

とのことだった。

 

 

これは、当時の私のノートの箇条書きそのままである。

 

 

 

 

この日から3日間の記憶はほぼない。

正確には、自分が何を考えていたのかが記憶にない。

お産した病院で搾乳し、冷凍し、それを小児病院に持って行き赤ちゃんに哺乳瓶で飲ませる。

病院と病院の往復。

会陰切開の傷がひどく痛み、歩くのも辛かったが、電車とタクシーに乗って移動すること自体の身体の疲れは無かった。

赤ちゃんはそれはもうとっても可愛く、小さなお口をぽかりと開けて眠る顔を、夫とともにただずっと眺めていた。

夜は出産した病院の部屋で一人、その日に携帯で撮った赤ちゃんの写真や動画を見て過ごした。

その病院では、たまたま前後に他の人が出産しておらず、産婦人科病棟は私1人だけだった。

それも救いだった。

 

 

 

 

鮮明なのは、出産から4日目の記憶だ。

 

 

その日は脳のMRIの検査結果を聞く日。

夫は仕事がどうしても休めなかったので、私一人で聞くことになっていた。

 

 

 

 

いつものようにNICUで赤ちゃんの寝顔を眺めていると、看護師さんが私を呼びに来た。

私は看護師さんに連れられて、「面談室」と書かれた個室に入った。

そこには、主治医の先生と、病院の家族サポートの方が居た。

 

 

 

 

 

 

大丈夫。

 

きっと大丈夫。

 

だって授乳もできるようになったし。

 

だんだん泣き声も大きくなってきた。

 

見た目はとっても元気。

 

だから何の心配も無い。

 

大丈夫。

 

大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テーブルをはさんで、先生と向かい合わせに座った。

挨拶し、簡単に自己紹介をした。

先生が私に「説明と同意の書」という紙を見せた。

0.0001秒くらいの、本当に本当の一瞬で、紙に書いてあるひとつの文章を見つけてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳がダメージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心臓を乱暴に掴まれたような、ドンと強く胸を突かれたような、もしかしたら実際に「ドン」という心臓の音が聞こえていたのかもしれない、形容しがたい重い何かが私の胸にぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その6文字の前後を読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低酸素により脳がダメージを受けた可能性があります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、『低酸素性虚血性脳症』という病名。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼろぼろと涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 

私はこの病名が、どういうものなのか分からない。

文章も全部読んでいない。先生の説明も聞いていない。

でも『脳がダメージ』だけで十分だった。

頭が真っ白になって、ただぼろぼろ泣くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生は私が落ち着くのを待って、ゆっくり説明をはじめた。

 

「説明と同意の書」をなぞるような内容だった。

 

 

 

 

『病名 新生児仮死、低酸素性虚血性脳症

 

出生時に元気がなく、当院へ搬送入院しました。

周期性呼吸で呼吸が浅くなることがあり、酸素を時々吸っています。経皮酸素飽和度を見ながら調整します。昨日からは投与せずに経皮酸素飽和度は保たれています。

循環動態は安定してます。

ミルクは順調に増量できています。

 

出生時に元気がなく、低酸素血症になった時間があった可能性があります。

低酸素により脳がダメージを受けた可能性があります。

本日の頭部MRIで脳に低酸素による画像の変化があり、低酸素性虚血性脳症と診断しました。

入院中に聴力検査や、将来の発達をうながすためリハビリを行うようにします。

現在、神経学的に明らかな異常症状は認めていません。』

 

 

 

 

 

 

説明の中で、先生は「発達に何らかの影響が出る可能性があります」と言った。

 

 

 

 

 

 

私の耳には、もう何の言葉も入ってこなかった。

先生の声は聞こえているけど、まったく理解できなかった。

 

 

私があまりにも泣いているので、先生は、後日また時間をとって旦那さんが一緒の時に再度説明します、と言ってくれた。

「落ち着くまで、この部屋を使っていいですよ」と言って、先生は部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

私はしばらくその部屋で『説明と同意の文書』をぼんやりと眺めていた。

夫が連絡を待っている、夫に連絡しなきゃ、と思ったが、鞄から携帯を取り出すことができなかった。

 

 

 

 

 

 

病院から駅に向かうタクシーの運転手はよく喋る人だった。

何も考えたくないのに、何の言葉も発したくないのに。

運転手はずっとべらべら喋っている。

なんでこの人は、病院からタクシーに乗った真っ赤な目の人間に、今年の夏の最高気温の話を笑顔でできるんだろう。

私は途中まで適当に相槌をうっていたが、辛くなってやめた。

しばらくして運転手は私が反応しなくなったことに気づいたのか、喋るのをやめた。

 

 

 

 

 

 

出産した病院に戻ると、お産があったらしく、新生児室に小さな赤ちゃんがいた。

助産師さんが私を見つけ、「おかえりなさい」と笑顔で言った。

帰りのタクシーと電車で泣かないようにこらえていた私は、その瞬間、その場に泣き崩れた。

助産師さんが私をナースステーションに入れ、椅子に座らせた。

私は『説明と同意の書』を見せながら小児病院で説明されたことを助産師さんに話したが、嗚咽交じりで何を話しているのか自分でもわからなかった。

助産師さんは私の背中をさすりながら「うん、うん」と話を聞いてくれた。

 

 

 

 

ひとしきり泣いて、少し気持ちが落ち着き、病室に戻って携帯を取り出した。

夫からメールや着信が何件かあったようだった。

夫に電話をした。

思ったより冷静に説明できたと思う。

電話口の夫は「うん」と「そうか」という相づちを時々打ちながら取り乱すことなく聞いていた。

先生が説明に時間を空けられるのが午後なので、夫は明日仕事を休んで小児病院に行くと言った。

 

 

 

 

夜はいつのもように病室で赤ちゃんの動画と写真を見て過ごした。

夜勤の看護師さんが見に来て、「あら。かわいいじゃない」と言った。

そうなの、かわいいのよ。と心の中で誇らしげに思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は何も考えたくない。

 

 

明日、もう一度夫と一緒に先生の説明を聞いて、今後のこともちゃんと聞く。

 

 

それから考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪つづく≫