前回の細事について広げてみる(真面目な考察)

2020-11-12

前回、いつかコタに私がへなちょこな人間だと見抜かれるのであろう、と書いた。

 

このことに関連して、思うことがある。

 

 

 

私は、今は親となったが、

それまでは両親の「こども」として生きてきた。

 

 

 

その「こども」の立場を振り返りたい。

 

 

 

 

 

まず言えることは、

育ててくれた両親にはとても感謝しているということ。

これは間違いない。

 

 

 

 

 

ただ、

未だ、納得のいっていないことがある。

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

家庭が「自分の意見を言えない環境だった」ことである。

 

 

 

 

 

時々、

親の都合で怒られたり、

傷つく言葉を言われたり、

自分の好みを嘲笑されたり、

叩かれて従わさせられたことがあった。

 

これらに関して、私は小学校高学年頃からずっと違和感があった。

 

今ならそれが「理不尽」なことだと分かるのだが、

当時はうまく言葉にできなかった。

 

 

 

 

 

 

私には反抗期が無かった。

 

もちろん反抗する気持ちはあった。

しかし、きょうだいにいわゆる不良がいて、両親が彼女に手がかかっていることが分かっていたので、面と向かって爆発することが出来なかった。

 

そのため、ずっとお腹の底に隠していた「違和感」を、両親にぶつけることもないまま大人になった。

 

 

 

 

大人になったら、親も1人の人間だと分かるようになった。

 

彼らも生きているんだ、完璧な人間じゃない、悩みだってある。

親も間違うし、理不尽なことだってしてしまう。

だから、あの「違和感」も仕方のないことなんだ。

 

今さらいいか。

今さらほじくり返すことも無い。

 

こうして私は、「違和感」の正体に気づきながらも、それを脳のいちばん奥の部屋にしまい、鍵をかけ、無かったことにした。

 

それが一番平和だから。

 

 

 

 

 

 

 

でも、

 

頭では理解しても、

 

こころには歪みが来る。

 

 

 

 

 

 

時々、悪夢を見るように、消化できなかったあの「違和感」が私を襲う。

勝手に鍵を開け、こころの隙間に入り込んでくる。

そうすると、こどもの頃と同じ気持ちになり、ぽろぽろと涙が出てくる。

 

 

 

ある時、消化したくて、私は両親に自分の気持ちをぶつけた。

すると、「ぶたこまで俺を困らせるのか」と父親に言われた。

もう何も言えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私があの家で生活していて 一番苦しかったのは、

嫌だったことやおかしいと思ったことを言えなかったことだ。

もちろん、叩かれたことや理不尽に怒られたこと自体も嫌だった。

でもそれより、気持ちを聞いてもらえなかったことの方が何十倍も辛かった。

 

 

 

私はきっと完ぺきな子育ては出来ない。

間違うし、理不尽なことだってしてしまうだろう。

私は、コタがある程度の年齢(小学校高学年か、中学生か)になったら、

「親でも間違うことがある、おかしいと思ったら言って欲しい」と伝えたい。

親の絶対的権力の元、こどもの「思い」をねじ伏せるような躾はしたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

…でも、

親として威厳を保つことや、親の言いつけを守らせることも大事で。

なめられてもいけないと思うし。

 

 

 

 

 

 

威厳と、おかしいと言える関係性。

 

 

 

どっちがいいのだろうか。