宮本さんと私

2021-07-31

私たちは山に囲まれた田舎の古い一軒家に住んでいる。

 

昨年の秋にこの地に越してきた。

 

 

 

それまでは近隣の市のアパートに住んでいたのでそんなことは無かったのだが、この田舎の一軒家は尋常じゃないくらい虫が出る。

 

 

 

私は初春から、ありとあらゆる防虫剤を使い彼らの駆除と侵入予防に努めてきた。

 

 

 

 

 

そんな中、ひとつの出会いがあった。

 

 

 

 

 

アシダカグモである。

 

 

 

彼は10センチほどの立派なクモだ。

 

 

 

 

 

初めて洗面所で彼と遭遇した時、私は半狂乱になり夫の名前を叫び続けた。

 

 

 

夫は彼を見て、「おお、やってんねえ」と嬉しそうに言った。

 

 

 

夫曰く、このクモは『害虫を食べてくれる良いクモ』だとのこと。

 

 

 

でも半狂乱の私はそんなこと信じられるはずも無く、「いいから早く追い出して!」と夫に彼を窓の外へ放ってもらった。

 

 

 

 

 

それからも、私はたびたび彼と家の中で遭遇した。

 

きっと何匹もいるのだろう。

 

 

 

私は「ひっ…」と硬直し、

 

彼は「あ…」と歩みを止める。

 

 

 

私は迷った。

 

夫は良いクモだと言っていた。

 

でも怖い。

 

下の子はまだ赤ちゃんだし、触っちゃうかもしれないし…。

 

 

 

私は意を決して、ほうきで優しく彼を窓の外に追い出した。

 

彼は焦りつつ、ぱたぱた、ぱたぱた、と窓の外へ逃げて行った。

 

 

 

 

 

何度か遭遇するうちに、

 

私は彼がとてもつつましい性格であることに気が付いた。

 

 

 

目が合うと「あ…すいません」と恐縮し、

 

「あ…僕はここにいますから、お先にどうぞ…」と道を譲ってくれる。

 

 

 

私は、夫が言ったように彼が『良い虫』かどうかはまだ半信半疑だったが、

 

少しづつ彼のことを知ろうとしはじめた。

 

 

 

 

 

私は、彼と遭遇しても追い出さず、「おつかれさまです」と挨拶するようにした。

 

彼はじっと私の言葉を聞いていた。

 

よく見ると、彼は賢そうな穏やかな顔をしていた。

 

 

 

 

 

意外なところで遭遇した時は、「あら。こんなとこで何しているんですか」と話しかけた。

 

彼は、「いや、ちょっと…」とはにかんだ。

 

探検でもしていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

私はもう、

 

彼と会っても驚かなくなっていた。

 

 

 

怖さも無くなり、子どもたちには「このクモさんは良いクモさんだから、触らないで『こんにちは』って言うんだよ」と教えた。

 

 

 

 

 

昨夜。

 

夫と話し合い、彼に名前を付けようと決めた。

 

 

 

挨拶する時に「○○さん、おつかれさまです」と名前を添えて言いたかったのだ。

 

 

 

 

 

私「要は彼は我が家の守護神ってことだから、そんな風な名前が良いな」

 

夫「守護神…。『川口』はどう?」

 

私「ああ、キーパーの?でも、クモさんは攻撃して悪い虫をやっつけるんだよね?川口は攻撃しないじゃん」

 

夫は「でも待ち構えて捕まえるやろ」

 

私「ディフェンスだけじゃなく、多少の攻撃力もあると思う」

 

夫「じゃあ、『宮本』は?ディフェンスの。マスクしてた」

 

私「ワールドカップの黒いマスクの人?カッコ良いよね」

 

夫「ああ、イケメンやね」

 

私「宮本さんは攻撃する?」

 

夫「あんませんけど、全くせんわけじゃない」

 

私「控えめだけどあの頼れる感じ。…なるほど」

 

 

 

 

 

 

 

という訳で、我が家のクモさんの名前は『宮本さん』に決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…宮本さん。

 

しばらく会っていないけれど。

 

今どうしているの。

 

どこに隠れているの。

 

なんだか妙に会いたいの。

 

ぜひとも名前を呼び掛けたい…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに今朝、『アシダカグモ』のことを初めてパソコンで調べてみた。

 

彼は益虫として有名で、そのいかつい風貌から巷では『アシダカ軍曹』と呼ばれているらしいぞ。