私たちは山に囲まれた田舎の古い一軒家に住んでいる。
昨年の秋にこの地に越してきた。
それまでは近隣の市のアパートに住んでいたのでそんなことは無かったのだが、この田舎の一軒家は尋常じゃないくらい虫が出る。
私は初春から、ありとあらゆる防虫剤を使い彼らの駆除と侵入予防に努めてきた。
そんな中、ひとつの出会いがあった。
アシダカグモである。
彼は10センチほどの立派なクモだ。
初めて洗面所で彼と遭遇した時、私は半狂乱になり夫の名前を叫び続けた。
夫は彼を見て、「おお、やってんねえ」と嬉しそうに言った。
夫曰く、このクモは『害虫を食べてくれる良いクモ』だとのこと。
でも半狂乱の私はそんなこと信じられるはずも無く、「いいから早く追い出して!」と夫に彼を窓の外へ放ってもらった。
それからも、私はたびたび彼と家の中で遭遇した。
きっと何匹もいるのだろう。
私は「ひっ…」と硬直し、
彼は「あ…」と歩みを止める。
私は迷った。
夫は良いクモだと言っていた。
でも怖い。
下の子はまだ赤ちゃんだし、触っちゃうかもしれないし…。
私は意を決して、ほうきで優しく彼を窓の外に追い出した。
彼は焦りつつ、ぱたぱた、ぱたぱた、と窓の外へ逃げて行った。
何度か遭遇するうちに、
私は彼がとてもつつましい性格であることに気が付いた。
目が合うと「あ…すいません」と恐縮し、
「あ…僕はここにいますから、お先にどうぞ…」と道を譲ってくれる。
私は、夫が言ったように彼が『良い虫』かどうかはまだ半信半疑だったが、
少しづつ彼のことを知ろうとしはじめた。
私は、彼と遭遇しても追い出さず、「おつかれさまです」と挨拶するようにした。
彼はじっと私の言葉を聞いていた。
よく見ると、彼は賢そうな穏やかな顔をしていた。
意外なところで遭遇した時は、「あら。こんなとこで何しているんですか」と話しかけた。
彼は、「いや、ちょっと…」とはにかんだ。
探検でもしていたのだろうか。
私はもう、
彼と会っても驚かなくなっていた。
怖さも無くなり、子どもたちには「このクモさんは良いクモさんだから、触らないで『こんにちは』って言うんだよ」と教えた。
昨夜。
夫と話し合い、彼に名前を付けようと決めた。
挨拶する時に「○○さん、おつかれさまです」と名前を添えて言いたかったのだ。
私「要は彼は我が家の守護神ってことだから、そんな風な名前が良いな」
夫「守護神…。『川口』はどう?」
私「ああ、キーパーの?でも、クモさんは攻撃して悪い虫をやっつけるんだよね?川口は攻撃しないじゃん」
夫は「でも待ち構えて捕まえるやろ」
私「ディフェンスだけじゃなく、多少の攻撃力もあると思う」
夫「じゃあ、『宮本』は?ディフェンスの。マスクしてた」
私「ワールドカップの黒いマスクの人?カッコ良いよね」
夫「ああ、イケメンやね」
私「宮本さんは攻撃する?」
夫「あんませんけど、全くせんわけじゃない」
私「控えめだけどあの頼れる感じ。…なるほど」
という訳で、我が家のクモさんの名前は『宮本さん』に決まった。
…宮本さん。
しばらく会っていないけれど。
今どうしているの。
どこに隠れているの。
なんだか妙に会いたいの。
ぜひとも名前を呼び掛けたい…。
ちなみに今朝、『アシダカグモ』のことを初めてパソコンで調べてみた。
彼は益虫として有名で、そのいかつい風貌から巷では『アシダカ軍曹』と呼ばれているらしいぞ。