心の傷

2020-09-05

本日の療育園での出来事。(3歳0ヶ月)

 

今日はひどい1日だった。

 

昨日危惧していた通り。

療育で、コタは数か月前の状態に戻ってしまった。

たった数日で、戻ってしまった。

 

次のスケジュールを伝えただけで奇声。

準備、片付けはせず癇癪。

自分の好きな活動だけやる。

朝の会も走り回る。

 

私はいつものように声かけをし、コタの気持ちを乗せ、活動に参加できるように促した。

しかし、私の必死の声かけにコタはそっぽを向くだけだった。

 

 

怖いのは、少しづつ見えてきた光が、また見えなくなってしまうこと。

あの、2歳2ヶ月から2歳9ヶ月までの悪夢が脳裏をかすめる。

戻りたくない。

あの頃は気が変になりそうだった。

実際、変だったと思う。

「もし私が死んだら、もうコタを育てなくていいんだ」と思っていた。

自分の存在を消せるスイッチが欲しかった。

もしあるなら、迷わず押していた。

 

 

私は、コタの障害は受け入れている。

コタのペースでゆっくり育っていってほしいと思う。

 

でも、後戻りするなんて。

ようやくうまくいきかけていたのに。

 

またあの時のコタに戻るのだろうかー

またあの時のような気持ちになるのだろうかー

 

 

怖くてたまらない。

 

 

 

療育からの帰り道、車の中で、コタが「けむいのせかい、やって」と言った。

「けむいのせかい」とは、コタの好きなB‘zの「ケムリの世界」という曲で、それを流してほしいということだった。

でも私は、(療育で自分の好き勝手にしてたくせに、また自分の要求ばっかり)とイラッとしてしまい、

「だめだよ。コタ、療育で何もやらなかったじゃん」と言ってしまった。

コタは泣き出したが、

私はスイッチが入ってしまい、

「なんであなたが泣くのよ?!泣きたいのはこっちだよ!」と怒鳴った。

コタは号泣しながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と家に着くまで連呼していた。

コタはよく「ごめんなさい」と言う。

私が怒ると、すぐ言う。

私はその口先だけのごめんなさいにも腹が立ち、ずっとコタを無視していた。

 

家についてから、

コタは泣いている私を気にして顔を何度も覗き込んだ。

不安そうな顔をしていた。

 

「りょういく、いかない」

「りょういく、ととと(お父さんと)、いく」

「おかあちゃん、むり」

「コタちゃん、(先生の言うこと)きかなかった、おかあちゃん、おこった」

と言った。

 

悲しみ、

諦め、

憎しみ、

自己嫌悪、

 

これらの感情がごちゃ混ぜになって、身体に力が入らなかった。

 

 

夫が帰ってきて、今日のコタのことを話した。

夫は

「この後戻りはたった数日のことだし、コタのコンディションも悪かったのかもしれない」

「無理にやらそうとしなくていい」

と言った。

 

たった数日のこと。

確かにそう。

でも、3年間、24時間、365日、コタと常に一緒で。

話す相手も頼る相手もいない中、常に発達の不安を抱えながら過ごしてきた。

長い長いトンネル。

そんな中、やっと見えてきた光。

もしかしたら療育が軌道に乗って、楽しく育児ができるようになるかもしれないー。

でもそれに影が差した。

たった数日の影だけど。

私には絶望に等しかった。

 

 

きっと皆、私の気持ちを大げさだと言うだろう。

自分でも分かっている。

だから誰にも言わない。

 

 

私は「散歩する」と言って家を出た。

夫は「何かおいしいもの食べてきな」と言った。

近くのスーパーに車を止めて、携帯で自閉症スペクトラムの育児のことを検索した。

 

前向きな育児のコラムなどを読んでいるうちに、だんだん気持ちが落ち着いてきた。

そして、コタに大変なことをしてしまったと思った。

急いで家に帰り、コタを抱きしめ、いっしょにお風呂に入った。

シャボン玉で遊び、楽しかった。

 

コタは笑ってくれた。

「お母ちゃん」と居て嬉しそうだった。

でもコタは、記憶力がいいから、今日のことを忘れないだろう。

私が車で怒鳴って、無視し続けたこと。

その心の傷は、消えないかもしれない。

 

なんてことをしてしまったのだろう。

 

 

今が大切な時期なのに。

いっぱい褒めて、いっぱい遊んで信頼関係を作ってくださいと言われたばかりなのに。

今日は否定言葉をたくさん使ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コタにとって、良いお母ちゃんになりたいけど。

いつなれるのだろう。

 

 

 

 

 

 

そして。

 

私は本当に、コタの障害を受け入れているのだろうか。