逃避行

2021-02-05

家にいると息が詰まるので、

平日はコタをお気に入りの公園やエレベーターに連れて行き、一日中遊ぶ。

 

 

ある日の夕方、

「楽しかったねー」などと言い合いながら車で帰宅している時、

コタが寝たので、私も少し休憩しようと車を停め、目をつむった。

 

そのとたんにコタが起きて、

車が停まっていることと、私が寝ていることに腹を立て、癇癪を起こした。

 

 

 

こういうことが起こると、

それまでどんなに楽しくても、

すべて帳消しになる。

 

 

 

コタはさんざん泣き、

私は「だってお母ちゃんだって眠たいんだもん」と応戦しつつ、

なだめつつ、

無視をしつつ、

 

コタが落ち着くのを待った。

 

 

 

 

最終的に、

 

コタは自分が怒っていたことを棚に上げ、

「おかあちゃんが、ひぐっ、おこって、いるから、ぐひっ、コタ、ふぐっ、ないてるの」

「おかあちゃん、なんで、ひぐっ、わらってくれないの?」

と、しゃくりあげながら私を責め続け、

 

私が「怒ってないよ」とコタに笑顔を見せて、終わった。 

 

 

 

 

はあ。疲れた。

 

 

 

 

夜、

その疲れが抜けきらぬまま、何気なく夫に「子育て楽しい?」と聞いてみた。

 

あっさりと、「楽しくない」という返事が来た。

 

割合を聞くと、

9:1で、楽しくない方が勝っているようだ。

 

でも夫は、「子どもは可愛いと思う」と言った。

 

 

 

 

 

私も、子育てが楽しくないと思う時がある。

 

いや、『思う時がある』ではない。

正直に書こう。

 

 

子育てが楽しくない。

 

 

楽しいと感じても、一瞬で帳消しになる。

 

 

子どもを可愛いと思えない時さえある。

 

 

毎日、ただ疲れている。

 

 

 

 

 

でも、

自分で望んで産んだのだから、

子育ては楽しくなくてはいけない。

 

楽しいと思わなければいけない。

 

 

 

 

 

時々、

こういう「こうでなくてはいけない」にがんじがらめになり、

溺れているような気分になる。

 

 

 

 

 

ちょっとの愚痴にも、

罪悪感を覚えてしまう。

 

 

 

 

 

夫と、

日本は特に「こうあるべき」が強いよね、

もっとおおらかな国だったらいいのにね、

という話から、

 

結局、生物の中で人間が一番不幸なのではないか、という話に飛んで、

 

これ以上は止めた方がいいと思い、暗黙の了解のように、すうっと話は立ち消えになった。

 

 

 

 

 

 

たまには、

自分の行きたいところに行こうかな。

電車の見える公園や、歩道橋のエレベーターではなく。

 

 

海を見に行きたいな。

海鮮丼を食べたいな。

 

 

 

試しに、コタに「海に行こうよ」と言ってみると、

コタは「はいるの?」と聞いてきた。

私が「入らないよ。見るだけ」と言ったら、

コタは「みるだけか、そっか」と納得した様だった。

 

 

 

 

…よし。

 

2時間近くかかるけど、

本当に海、行っちゃおうかな。