2回目の保育園あそびを終えて。

2021-05-27

昨年の秋から始まった、春の新入園児を対象としたイベント「保育園あそび」。

その第2回目に参加した時の話である。

(1回目のことは、2020年10月29日の「保育園あそび」「保育園あそびを終えて」「保育園あそびを終えて その2」をご覧ください)

 

今回の第2回目は、11月下旬に行われた。

 

 

1回目では、コタと定型発達の子たちとの大きな差に愕然とした私。

 

 

前回の辛い記憶から、今回も行きたくなかったが、コタが保育園に慣れるためには行かなければならない。

 

 

 

コタのため。

 

コタのため。

 

 

 

そう呪文のように繰り返す。

 

 

 

でも、

 

 

行きたくない、

 

行きたくない…。

 

 

 

日を追うごとにどんどん憂鬱になっていく。

 

 

 

結局、1人で連れて行く勇気がどうしても出なかったため、夫に仕事を休んでもらい、3人で行くことになった。

 

 

 

(以下は、当日帰宅してからの私の日記である。

汚い言葉で書かれているが、編集せずにそのまま記録として残す)

 

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11月×日

2回目の保育園あそび

 

朝、コタの機嫌は良く、一安心。

 

しかし出発する時、靴がうまく履けず「できないー!できないー!」と癇癪が始まる。

片手はおもちゃを持ち、片手はカラ。

「両手を使えばいいんだよ」と教えるが、「おかあちゃんがやるの!」と叫ぶ。

私は癇癪が始まったことにうんざりし、イライラして「おもちゃを置いて、自分でやって」と言う。

コタは火が付いたように泣き叫ぶ。

 

最近靴を履く時、毎度毎度人にやれやれ言って。

自分で履けるのに。

腹が立つ。

 

つい、「何で私がやらなきゃいけないのよ。できるでしょ?自分でやってよ。私は絶対やらないから」と応戦してしまう。

更に癇癪。

 

はあ。また始まったよ。うざい。

 

今から保育園あそびなのに。

毎度毎度、馬鹿じゃないの?

 

私は完全にやる気をなくした。

ただでさえ行きたくない保育園あそび。

 

早く出発しようとしていたのに、すでに遅刻の時間だ。

もう、どーでもいーや。

 

そう自暴自棄になっていると、夫が間を取持ち、コタに靴を履かせてくれた。

 

「おかあちゃん、わらってよ!」と繰り返すコタ。

 

この状況でどうやって笑えばいいんだよ。

先に怒ったのはあなたでしょ?

 

 

自分の対応がよくないのは分かっている。

でも止められない。

この子の、人にやらせようという姿勢が本当に苦手。

夫は「甘えたいんだよ」と言うが、そうじゃないと思う。

ばかにしてるんだよ、この子は。

 

でも行かなきゃいけないから、なんとか頭を冷やして折れることにした。

作り笑いをする。

「保育園遊び、やめる?」と聞くと、コタは「いく!」と言った。

 

こうしてなんとか出発。

 

今日は夫も一緒だ。

 

 

保育園あそび自体は、コタはコタなりに頑張っていた。

それはよく分かる。

 

 

でも。

 

 

私は他の子も他のお母さんも見ないようにしていた。

 

 

先生が、私たちにズボンの脱ぎ方の声かけや補助の仕方を教えてくれた。

私は頷く気力も無く、夫が先生と話してくれていた。

 

そんな声かけ、無意味だ。

私が「こうするんだよ」とコタに言って、コタが素直に聞いてくれたらどんなに楽か。

 

どーせむり、と思って、私は声かけも何もしなかった。

 

先生方には申し訳ないが、本当にどうでもよかった。

はやく終わらないかな、とばかり考えていた。

 

 

コタは、私より夫にまとわりついていた。

そうだよね、私はイライラしてばっかだもんね。

 

3年間常に一緒にいたのは私なのに。

苦しんだのは私なのに。

本当、ばかばかしい。

 

ここではイキイキキラキラ笑ってなくてはいけない。

みんな楽しそうでいいな。

楽しくない。

全然楽しくない。

 

 

帰りの前の絵本の読み聞かせの時、

みんなが先生の問いかけにてんでに答えているのを、「うるさいよー!」と叫ぶコタ。

自分だって大声で答えているのに。

 

 

 

家に帰って、虚しさで涙が出た。

 

むなしいな。本当に。

 

疲れた。

再来週、またある。

行きたくない。

誰とも会いたくない。

死にたいな。

死ねば、無理して笑う必要もないし、そもそも保育園あそびに行かなくてもいい。

死にたい。

 

 

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自分の、醜い感情にゾッとする。

 

本当に自分のことしか考えていない。

 

この時期は、療育もうまくいかず下の子の世話にも追われ、常に頭がぐるぐるしていたのだが、それは言い訳だ。

 

コタが不安定な気持ちになるのは当たり前だ。

 

 

 

正直なところ、

今も、コタを疎ましいと思う気持ちが全く消えたわけではない。

 

この時ほどではないが、残っている。 

それは、私の心の隅に隠れていて、事あるごとにむくむくっと膨れ上がってくる。

 

そして私を支配する。

 

 

私はずっと混乱していた。

 

愛情と憎しみ。

 

どっちが本当の私なのか。

 

 

 

早くこの支配から逃れたい。

 

 

 

 

 

今の私は、コタを保育園に預けられるようになったし、役場の人と話をしたり、カウンセリングを受けたり、薬の力を借りて平生を保っている。

 

こんな気持ちは久しぶりだ。

日々穏やかでいられるって、こんなにも幸せなことなんだな。

 

 

 

 

 

それにしても、日記を残しておいて良かった。

読み返すたび、あの頃に戻りたくないと思うし、醜い自分に落ち込むが、自分を俯瞰で見ることが出来る。

それは、自分と向き合うために必要なことだ。