昨年の秋から始まった、春の新入園児を対象としたイベント「保育園あそび」。
その第2回目に参加した時の話である。
(1回目のことは、2020年10月29日の「保育園あそび」「保育園あそびを終えて」「保育園あそびを終えて その2」をご覧ください)
今回の第2回目は、11月下旬に行われた。
1回目では、コタと定型発達の子たちとの大きな差に愕然とした私。
前回の辛い記憶から、今回も行きたくなかったが、コタが保育園に慣れるためには行かなければならない。
コタのため。
コタのため。
そう呪文のように繰り返す。
でも、
行きたくない、
行きたくない…。
日を追うごとにどんどん憂鬱になっていく。
結局、1人で連れて行く勇気がどうしても出なかったため、夫に仕事を休んでもらい、3人で行くことになった。
(以下は、当日帰宅してからの私の日記である。
汚い言葉で書かれているが、編集せずにそのまま記録として残す)
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11月×日
2回目の保育園あそび
朝、コタの機嫌は良く、一安心。
しかし出発する時、靴がうまく履けず「できないー!できないー!」と癇癪が始まる。
片手はおもちゃを持ち、片手はカラ。
「両手を使えばいいんだよ」と教えるが、「おかあちゃんがやるの!」と叫ぶ。
私は癇癪が始まったことにうんざりし、イライラして「おもちゃを置いて、自分でやって」と言う。
コタは火が付いたように泣き叫ぶ。
最近靴を履く時、毎度毎度人にやれやれ言って。
自分で履けるのに。
腹が立つ。
つい、「何で私がやらなきゃいけないのよ。できるでしょ?自分でやってよ。私は絶対やらないから」と応戦してしまう。
更に癇癪。
はあ。また始まったよ。うざい。
今から保育園あそびなのに。
毎度毎度、馬鹿じゃないの?
私は完全にやる気をなくした。
ただでさえ行きたくない保育園あそび。
早く出発しようとしていたのに、すでに遅刻の時間だ。
もう、どーでもいーや。
そう自暴自棄になっていると、夫が間を取持ち、コタに靴を履かせてくれた。
「おかあちゃん、わらってよ!」と繰り返すコタ。
この状況でどうやって笑えばいいんだよ。
先に怒ったのはあなたでしょ?
自分の対応がよくないのは分かっている。
でも止められない。
この子の、人にやらせようという姿勢が本当に苦手。
夫は「甘えたいんだよ」と言うが、そうじゃないと思う。
ばかにしてるんだよ、この子は。
でも行かなきゃいけないから、なんとか頭を冷やして折れることにした。
作り笑いをする。
「保育園遊び、やめる?」と聞くと、コタは「いく!」と言った。
こうしてなんとか出発。
今日は夫も一緒だ。
保育園あそび自体は、コタはコタなりに頑張っていた。
それはよく分かる。
でも。
私は他の子も他のお母さんも見ないようにしていた。
先生が、私たちにズボンの脱ぎ方の声かけや補助の仕方を教えてくれた。
私は頷く気力も無く、夫が先生と話してくれていた。
そんな声かけ、無意味だ。
私が「こうするんだよ」とコタに言って、コタが素直に聞いてくれたらどんなに楽か。
どーせむり、と思って、私は声かけも何もしなかった。
先生方には申し訳ないが、本当にどうでもよかった。
はやく終わらないかな、とばかり考えていた。
コタは、私より夫にまとわりついていた。
そうだよね、私はイライラしてばっかだもんね。
3年間常に一緒にいたのは私なのに。
苦しんだのは私なのに。
本当、ばかばかしい。
ここではイキイキキラキラ笑ってなくてはいけない。
みんな楽しそうでいいな。
楽しくない。
全然楽しくない。
帰りの前の絵本の読み聞かせの時、
みんなが先生の問いかけにてんでに答えているのを、「うるさいよー!」と叫ぶコタ。
自分だって大声で答えているのに。
家に帰って、虚しさで涙が出た。
むなしいな。本当に。
疲れた。
再来週、またある。
行きたくない。
誰とも会いたくない。
死にたいな。
死ねば、無理して笑う必要もないし、そもそも保育園あそびに行かなくてもいい。
死にたい。
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自分の、醜い感情にゾッとする。
本当に自分のことしか考えていない。
この時期は、療育もうまくいかず下の子の世話にも追われ、常に頭がぐるぐるしていたのだが、それは言い訳だ。
コタが不安定な気持ちになるのは当たり前だ。
正直なところ、
今も、コタを疎ましいと思う気持ちが全く消えたわけではない。
この時ほどではないが、残っている。
それは、私の心の隅に隠れていて、事あるごとにむくむくっと膨れ上がってくる。
そして私を支配する。
私はずっと混乱していた。
愛情と憎しみ。
どっちが本当の私なのか。
早くこの支配から逃れたい。
今の私は、コタを保育園に預けられるようになったし、役場の人と話をしたり、カウンセリングを受けたり、薬の力を借りて平生を保っている。
こんな気持ちは久しぶりだ。
日々穏やかでいられるって、こんなにも幸せなことなんだな。
それにしても、日記を残しておいて良かった。
読み返すたび、あの頃に戻りたくないと思うし、醜い自分に落ち込むが、自分を俯瞰で見ることが出来る。
それは、自分と向き合うために必要なことだ。