社会

2020-11-26

先日、療育園で、

H君とお友達がおもちゃの取り合いをしていた。

 

「貸して・どうぞ」がうまく出来ず、自分の思い通りにならなくて癇癪を起したH君。

 

 

H君のお母さんは、大マグロのようにびちびち暴れるH君を羽交い絞めにしながら、

「H、これが社会だ」と涼しい顔で言った。

 

 

私は、コタが癇癪を起さないように常に気を使っていて、

コタが癇癪を起したら「今の私の対応は失敗だったかな」と反省する。

 

つまり私は、「コタが癇癪を起すか起こさないか」を一番のベクトルとしている。

 

 

しかし、H君のお母さんは、H君が癇癪を起すことをたいした問題として無いように思う。

そんなH君のお母さんを見て、思った。

 

 

癇癪を起したっていいじゃん。

 

だって、療育は「社会」を勉強する場なんだから。

 

いっぱい癇癪を起こして、いっぱい失敗して、社会のルールを覚えていく。

 

その日、癇癪を起した回数をカウントしてため息をついたり、

 

癇癪を起したから今日の療育は失敗、今日は穏やかだったから成功。

 

そういうものではない。

 

 

 

ちまちました自分の対応に鑑みて、

私もH君のお母さんのように、もっと気持ちをどっしりと構えたいと思った。