家にいると息が詰まるので、
平日はコタをお気に入りの公園やエレベーターに連れて行き、一日中遊ぶ。
ある日の夕方、
「楽しかったねー」などと言い合いながら車で帰宅している時、
コタが寝たので、私も少し休憩しようと車を停め、目をつむった。
そのとたんにコタが起きて、
車が停まっていることと、私が寝ていることに腹を立て、癇癪を起こした。
こういうことが起こると、
それまでどんなに楽しくても、
すべて帳消しになる。
コタはさんざん泣き、
私は「だってお母ちゃんだって眠たいんだもん」と応戦しつつ、
なだめつつ、
無視をしつつ、
コタが落ち着くのを待った。
最終的に、
コタは自分が怒っていたことを棚に上げ、
「おかあちゃんが、ひぐっ、おこって、いるから、ぐひっ、コタ、ふぐっ、ないてるの」
「おかあちゃん、なんで、ひぐっ、わらってくれないの?」
と、しゃくりあげながら私を責め続け、
私が「怒ってないよ」とコタに笑顔を見せて、終わった。
はあ。疲れた。
夜、
その疲れが抜けきらぬまま、何気なく夫に「子育て楽しい?」と聞いてみた。
あっさりと、「楽しくない」という返事が来た。
割合を聞くと、
9:1で、楽しくない方が勝っているようだ。
でも夫は、「子どもは可愛いと思う」と言った。
私も、子育てが楽しくないと思う時がある。
いや、『思う時がある』ではない。
正直に書こう。
子育てが楽しくない。
楽しいと感じても、一瞬で帳消しになる。
子どもを可愛いと思えない時さえある。
毎日、ただ疲れている。
でも、
自分で望んで産んだのだから、
子育ては楽しくなくてはいけない。
楽しいと思わなければいけない。
時々、
こういう「こうでなくてはいけない」にがんじがらめになり、
溺れているような気分になる。
ちょっとの愚痴にも、
罪悪感を覚えてしまう。
夫と、
日本は特に「こうあるべき」が強いよね、
もっとおおらかな国だったらいいのにね、
という話から、
結局、生物の中で人間が一番不幸なのではないか、という話に飛んで、
これ以上は止めた方がいいと思い、暗黙の了解のように、すうっと話は立ち消えになった。
たまには、
自分の行きたいところに行こうかな。
電車の見える公園や、歩道橋のエレベーターではなく。
海を見に行きたいな。
海鮮丼を食べたいな。
試しに、コタに「海に行こうよ」と言ってみると、
コタは「はいるの?」と聞いてきた。
私が「入らないよ。見るだけ」と言ったら、
コタは「みるだけか、そっか」と納得した様だった。
…よし。
2時間近くかかるけど、
本当に海、行っちゃおうかな。