私はそのまま家を飛び出た。
何も持たず、コートも羽織らず、サンダルのまま。
田んぼのあぜ道をふらふら歩きながら、
決定的だな、
もう無理だな、と思った。
今まで私が必死にやってきたことを、一番近くにいたこの人は心の中で馬鹿にしていたんだ。
私は本当に1人なんだな。
疲れちゃった。
こんな人生もういいや、
死のう。
そう決めて、寒空の下、ぼんやりと歩き続けた。
「死」は、私にとって自然な流れだった。
私に「子どもを育てない(=離婚して1人で家を出る)」という選択肢は無かった。
だって、もし離婚したとして、自分が普通の生活を送れるとは思えない。
子どもたちのことを無かったことになんて出来ない。
子どもたちの日常に関わらないことなんて出来ない。
一方で、「1人で育てる」ことも、自分のキャパシティから無理だと分かっていた。
「夫婦で育てる」か、「死ぬ」か。
2つに1つだった。
その2つの選択肢の中、
家での逃げ場も失い、
心が自然と「死」に流れていった。
でも、
悔しかった。
私が死んだ後、夫が邪魔者の消えた家で晴れ晴れと良い父親顔で生きていくのかと思うと悔しかった。
私だって育てたかったのに。
なんでこの人のために諦めなければいけないのか。
私は家に戻った。
台所にいた私に、夫は「言い過ぎたかもしれん」と言った。
私は「別にいいよ」と言ったが、もうどうでも良かった。
私に妙な覚悟が生まれた。
「私がちゃんと育ててやる」と言う、意地のような何か。
ひとつ決めたことは、『コタに絶対怒鳴らないようにする』こと。
コタのためと言うより、夫に「ほれ見ろ、やっぱり出来ないじゃないか」と思われないためだった。
私はひどい母親だ。
それから2週間ほど、夫とは必要最低限しか口を利かず、顔を合わせることもしなかった。
私はコタと下の子と、毎日車で色んな公園に行き、
貨物列車を見て、アスレチックで遊び、ソフトクリームを食べ、1日中遊んだ。
夫婦の会話の全くない家は、子どもたちの笑い声だけが響き、妙だった。
私は子供を育てたいが、1人では育てられない。
子どもにとって、夫は「良い父親」。
だからここで育てる。
それだけのこと。
それだけの夫婦。
でも、もし、夫が私のことが嫌でこの家を出ていくなら、それは引き留めるつもりは無かった。
勝手にしろと思っていた。
そんないびつな気持ちの生活が2週間ほど経ったある日、
なんだか急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
要は怒り続けていることに疲れたのだ。
何しろ合理的ではない。
子どもにとって良くないし、
子供2人を1人でお風呂に入れるのは大変だし、
コタが食卓で何か面白いことを言っても思いっきり笑えないし、
口角がだんだん下がって来たし。
夕方、私は夫に「まだ怒っていますか?お夕飯どこかで食べませんか?」とメールをした。
夫から「怒っていません」と返信が来て、家族4人で外食をした。
あれから2ヶ月。
気まずさの中、だましだまし時を過ごし、
子どもたちの存在に助けられ、
少しづつ、以前のような笑い声が家に戻ってきた。
このケンカを経て、私は決めたことがある。
全てを夫に背負わせないこと。
私が望むことは、
・育児
・家事
・仕事(稼ぎ)
・育児の悩み、気持ちの吐き出し
である。
まず「育児」。
これは夫は積極的なので、これ以上望むことは無い。
次に「家事」。
私が仕事を始めるに当たって分担が必要になるが、これまた夫は積極的だ。
システマチックに物事を進めたい夫の提案で、特に一番大変な食事のシステム化に着手した。
一週間の献立を作り、毎回決められた食材を生協で注文。
注文はインターネットで出来るので、献立の食材以外にも気になるものがあったらお互い好きな時にポチッ。
献立内容は、レトルトを取り入れ、夫も作れる上に時短も実現。
そしてなけなしのお金で買った食器洗浄機をフルに使い、皿洗いのストレスからの脱却に成功。
洗濯ついては、昨年買った衣類乾燥機の力で、時間を問わず洗濯が可能となっているので良し。
掃除に関しては、夫は「ルンバを買おう」と言っているが、金銭面で現実的では無いので、当面は休日に私がちまちま掃除機をかけようと思う。
これはまあ仕方がない。
多少ほこりがあったって死にはしないし。
夫に「いずれ(全部屋ルンバに)出来たらいいね」と言ったら、「せやよな」と目をキラキラさせていた。
3つ目の「仕事(稼ぎ)」は、私が6~7月から働くからなんとかなるだろう。
最後の「育児の悩み、気持ちの吐き出し」。
これが一番難しいんだな。
私は今まで夫に伝えてきたが、伝えられる方も負担が大きいだろう。
それに、夫は論理的なので、解決しようと悩みに反論してくることがしばしばある。
私のためなのだろうが、それをされると悩みの辛さに加えて惨めな気持ちになってしまう。
なので、行政と医療機関に頼ることにした。
仕事として、私の気持ちに寄り添ってくれ、一緒に具体的な道筋を考えてくれる人。
つまり、保健師さんや社会福祉士さん、そして精神科だ。
私だって穏やかに楽しく生活をしたい。
そのために、工夫をしてやっていく。
改めて考えると、
夫は良い人間で、良い父親だと思う。
時々あのケンカでの言葉を思い出して落ち込むこともあるが、
数年後、あの時ぶつかり合ったことは無駄ではなかったと思えるようになりたい。