精神科へ行く・1

2021-08-12

1歳10ヵ月からコタの療育を始めて、数か月経った頃からだろうか、

 

 

私は気分がふさぎ込むことが多くなった。

 

 

 

 

育児のストレスなのか、療育の憂鬱なのか、又は当時妊娠中だったのでそのストレスもあったのかもしれない。

 

 

 

 

ふとしたことで気持ちが暗くなり、気が付くと泣いていた。

 

 

何に泣いているのかは分からなかった。

 

 

ただ、涙がぼろぼろ出てくる。

 

 

泣かない日は無かった。

 

 

 

 

 

 

特にそれが色濃くなったのは昨年の12月、

 

 

コタが3歳4ヵ月の時だ。

 

 

 

 

保育園入園を控え、療育もうまく行かない、保育園あそびもうまく行かない、そして強まる癇癪。

 

 

コタの障害を受け入れたはずの心は大きく揺らぎ、将来への不安と人生の諦めを強く感じていた。

 

 

 

 

 

 

そんな私の様子を心配した役場の保健師さんが、「精神科やカウンセリングに行ってみては?」「それに抵抗があるなら、役場に相談室もある」などと言ってくれた。

 

 

 

 

でも当時の私は聞き流していた。

 

 

というより、私を心配してかけてくれる言葉にも常にイライラし、反発していた。

 

 

 

 

 

 

―そんなところへ行ったって、どうせ何も変わらない。

 

 

育てるのは私。

 

 

どこへ行こうと育てなきゃいけないことは変わらない。

 

 

家にあの子がいることは変わらない。

 

 

他人にこの苦しみは分からない。

 

 

 

 

 

 

その一方で、

 

 

「ショートステイがある」とアドバイスされた時は、

 

 

 

 

 

 

自宅に帰ってきた後のコタの反動がすごそうで怖い、という思いと、

 

 

 

 

引き離されたくない、

 

 

コタはステイ先できっと泣くだろう、

 

 

そしたら私が行ってあげなきゃ、

 

 

 

 

という矛盾した思いがあった。

 

 

 

 

 

 

離れたいが、離れたくない―

 

 

 

 

 

 

一緒に居るのが耐えられないけど、見えないところに居るのはもっと不安―

 

 

 

 

 

 

この気持ちを自分でも理解できないし、説明できなかった。

 

 

 

 

 

 

それに、もし説明できたとしても、きっと誰にも分からないだろうと思っていた。

 

 

 

 

 

 

私の気持ちは誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は、12月半ばに行われた療育園の園長先生と役場の保健師さんとの面談の後のメモ(殴り書きそのままの文)である。

 

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 

2020年12月15日。

 

 

 

 

コタのそのままを認めて?そのままでいい?

 

 

ならば、療育はなんのため?

 

 

そのままでよいと日常で認めたとしても、療育ではやらせなきゃいけない。

 

 

じゃあ、そのままじゃだめじゃん。

 

 

精神論ばかり言うな。

 

 

みんなと同じにさせなきゃ迷惑なくせに。

 

 

それに、同じにしなきゃ生きていけないんだよ、こっちも。

 

 

無人島にいるわけじゃないから。

 

 

 

 

いつまでキリキリした気持ちで生きなきゃならない?

 

 

行きたくない、療育。

 

 

コタと同じタイプの子いないし。

 

 

いつも悪目立ちしてばかり。

 

 

親もさらし者。

 

 

孤独。

 

 

また死にたくなった。

 

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 

 

 

当時の私の荒んだ心がよく表れている。

 

 

 

 

この頃の私は、夫にも「死にたい」と言うようになっていた。

 

 

夫はこのことを保健師さんに相談し、皆はなんとか私を助けようとしてくれていた。

 

 

だから保健師さんも上記のように精神科や相談室を私に勧めていたのだが…、

 

 

私は「自分は不幸」「自分ばっかり…」という殻に閉じ籠り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、3月に役場のKさんと会って、気持ちが徐々に変わっていった。

 

 

(詳しくは、「分かりあえる人」(2021 7/27)をご覧ください)

 

 

 

 

 

 

私は今の自分の心の状態が悪いことを自覚していたし、このままで良いわけがないと分かっていた。

 

 

なんとかしなきゃ、と思っていた。

 

 

 

 

 

 

だって、

 

 

私だって本当は楽しく暮らしたい。

 

 

穏やかに幸せに生きられるなら、死にたくない。

 

 

 

 

 

 

Kさんも精神科へ通いながら発達障がいのお子さんの子育てをされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどうするべきなのか―

 

 

 

 

 

 

 

 

私に「変わりたい」という現実的な思いが芽生え始めた。

 

 

 

 

漠然としたものでは無く、地に足の着いた方法で、だ。

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

 

誰かに「助けて」と言うこと。

 

 

 

 

家族以外の人に、「助けて」と言うことだった。

 

 

 

 

 

 

≪つづく≫

 

 

 

 

 

 

【現在の私のリラックス法】

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