保育園あそびを終えて

2020-10-29

結論から言うと、とてもしんどかった。
私の気持ちがとてもついていけなくて、途中で帰らせてもらった。

 

 

何がしんどかったって、現実を目の当たりにしたこと。

 

 

定型発達の子の中での、コタ。

 

 

こんな風に違うのか。
こんなにも違うものか。

 

 

 

 

感じたことを正直に書いていく。

 

 

 

 

1.親の対応

 

 

母親の、子に対する対応が全く違った。
朝の会でコタは椅子に座らず私の膝に座っていたが、同じように椅子から離れてしまうお子さんもいた。
その子のお母さんは「座ってなきゃだめでしょ」と言い、子は素直にそれに従った。
さらっと言って、さらっと解決。

 

 

私とコタにはそんなやりとりは絶対ない。
私は、常に慎重に言葉を選び、その時のコタに合う声色と声量を使う。
それでもすぐにうまく行くことなんてない。
何回かのラリーを経て、うまくいけば御の字だ。

 

 

周りの子はこんなに簡単に行動が進むのか、と衝撃を受けた。

 

 

 

 

2.お友達との関わり方

 

 

貸して、などは促せば言えたが、みんなと一緒に遊ぶということはまだ出来なかった。
まあ、これは初日だし、仕方のないこと。
貸してが言えただけでもすごい(実際は私を見ながらごく小さな声で言ったのだけど)。

 

 

ただ、コタは距離感がつかめないところがある。
たまに療育でもやっているが、お友達のすぐ後ろをにやにやしながらついていく。
コタ本人は、その子と遊びたいのか、それ自体が遊びなのか、楽しそうにやっているが、いかんせん距離が近い。
今日は女の子に気味悪がられていた。

 

 

 

 

3.行動の違い

 

 

コタは、「えへへーえへへー」と笑いながら走ったり、横目で廊下の隅を行ったり来たりしたり、にやにやしながら無意味にウロウロしたり。
療育では気にならないが、ここでは気になった。
そんなことしている子はいなかったから。
みんな、目的があって歩くし、行動をしている(ように見える)。
恥ずかしさはないが、明らかな違いだった。

 

 

他のお母さん方は「機嫌がいいのね」とにこにこしていたが、
成長するにつれて、この特性が滑稽に映ったり、気味悪がられたりするのかな、と思うと苦しかった。

 

 

 

 

4.これからのこと

 

 

先生は「じゃあ次はこうしてー」「これするよー」「はい、ならんでー」と、テキパキ指示を出す。
当たり前のように。

当たり前のように言うことを聞くお子さんたち。

それを当たり前の風景のように見る母親たち。

 

 

その行動ひとつひとつが、コタにとってどれほど困難なことか。

速い展開に、コタはついていけない。

 

 

そんな風景を2時間見ていて、私の感情は、

 

 

疎外感


みじめさ


劣等感


孤独

 

 

だった。

 

 

 

 

そして、ふと、

今感じたこの気持ちは、小学校、中学校と、これからずっと感じ続けていくのだ、と分かってしまった。

 

 

集団の中でうまくできないコタを見続けていくこと。

 

 

他の子が普通にできることができなくて苦しむコタを見続けていくこと。

 

 

コタの違いを常に感じながら生きていくこと。

 

 

 

 

これから先のことが、なんだか分かってしまった。

 

 

 

 

絶望?


脱力?

 

 

 

 

すとん、と真っ暗な穴に放り込まれたような感覚だった。

 

 

 

 

みんなで拾った落ち葉で作ったかんむりを付けて、並んで写真を撮るとき、
輪に入るのを頑なに拒否するコタを見て、涙が出た。

 

 

他の子の親は、自分の子が今できないことがあっても不安に思わないんだろうな。

 


だって、いつかできるようになるから。

 


言えば聞くから。

 

 

 

 

私はいつも、コタが癇癪を起さないか、パニックにならないか、気を張っていて。


楽しい外出なんてできなくて。


今日もずっとハラハラし通しで。

 

他のお母さん方のように、楽しんで保育園あそびに来たり、

 

これから先、

 

子育てが心底楽しいと思える日なんて来ないんだろう。

 

 

 


心から笑える日なんて、もう来ないのだろう。