前回、いつかコタに私がへなちょこな人間だと見抜かれるのであろう、と書いた。
このことに関連して、思うことがある。
私は、今は親となったが、
それまでは両親の「こども」として生きてきた。
その「こども」の立場を振り返りたい。
まず言えることは、
育ててくれた両親にはとても感謝しているということ。
これは間違いない。
ただ、
未だ、納得のいっていないことがある。
それは、
家庭が「自分の意見を言えない環境だった」ことである。
時々、
親の都合で怒られたり、
傷つく言葉を言われたり、
自分の好みを嘲笑されたり、
叩かれて従わさせられたことがあった。
これらに関して、私は小学校高学年頃からずっと違和感があった。
今ならそれが「理不尽」なことだと分かるのだが、
当時はうまく言葉にできなかった。
私には反抗期が無かった。
もちろん反抗する気持ちはあった。
しかし、きょうだいにいわゆる不良がいて、両親が彼女に手がかかっていることが分かっていたので、面と向かって爆発することが出来なかった。
そのため、ずっとお腹の底に隠していた「違和感」を、両親にぶつけることもないまま大人になった。
大人になったら、親も1人の人間だと分かるようになった。
彼らも生きているんだ、完璧な人間じゃない、悩みだってある。
親も間違うし、理不尽なことだってしてしまう。
だから、あの「違和感」も仕方のないことなんだ。
今さらいいか。
今さらほじくり返すことも無い。
こうして私は、「違和感」の正体に気づきながらも、それを脳のいちばん奥の部屋にしまい、鍵をかけ、無かったことにした。
それが一番平和だから。
でも、
頭では理解しても、
こころには歪みが来る。
時々、悪夢を見るように、消化できなかったあの「違和感」が私を襲う。
勝手に鍵を開け、こころの隙間に入り込んでくる。
そうすると、こどもの頃と同じ気持ちになり、ぽろぽろと涙が出てくる。
ある時、消化したくて、私は両親に自分の気持ちをぶつけた。
すると、「ぶたこまで俺を困らせるのか」と父親に言われた。
もう何も言えなくなった。
私があの家で生活していて 一番苦しかったのは、
嫌だったことやおかしいと思ったことを言えなかったことだ。
もちろん、叩かれたことや理不尽に怒られたこと自体も嫌だった。
でもそれより、気持ちを聞いてもらえなかったことの方が何十倍も辛かった。
私はきっと完ぺきな子育ては出来ない。
間違うし、理不尽なことだってしてしまうだろう。
私は、コタがある程度の年齢(小学校高学年か、中学生か)になったら、
「親でも間違うことがある、おかしいと思ったら言って欲しい」と伝えたい。
親の絶対的権力の元、こどもの「思い」をねじ伏せるような躾はしたくない。
…でも、
親として威厳を保つことや、親の言いつけを守らせることも大事で。
なめられてもいけないと思うし。
威厳と、おかしいと言える関係性。
どっちがいいのだろうか。